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人間はみんな繋がりあっていたいもの。それが人間らしさってものだと思うの。

人間は日々思考し言語化を繰り返して生きています。

その行為を手段として他者と関わることで、人間は人格を形成していく側面を持っています。これは他の生物と異なり人間だけが持つ唯一の特徴です。

この行為は、ただ言葉だけでコミュニケーションを取るだけではなく、相手の表情や声色、見た目、その場の雰囲気など、五感を通すことでコミュニケーションを取ることを指します。つまり言葉だけでは汲み取れない感情があるし、そういう様々な要素を拾って思考し表現するのが人間らしさと言われる部分だと思っています。

 

IT革命以降、インターネットの台頭が著しくしくなりましたよね。インターネットで調べものをしたり、買い物をしたり、他者とコミュニケーションを取ったり、、、現実世界で行われてきた事がインターネット上で行われる便利な時代になっています。

でも、一方でインターネット上でのコミュニケーションでトラブルが起きるケースも目立つ様になりました。

ネットの匿名性というフィルターを通すと人格が変わってしまう人々や誹謗中傷をしあって揉める人々、それが激化して自殺してしまう人など、、、。

インターネット上でのコミュニケーショントラブルが大きな社会問題になっていることが事実として起きています。

 

今までは”インターネットは使いたい人だけが使えばいい”、それで済んでいました。しかし時代は大きく変化し、仕事やインフラ関連などもインターネット上で行われる環境になっています。つまり、インターネットは使わないといけない存在になっているし、仕事のような、より質の高いコミュニケーションを必要とする行為もインターネット上で行うようになっています。

 

現状、人間は現実世界よりインターネット上で他者と関わるケースが増え、冒頭で記した人間の人格形成に大切な五感で感じるコミュニケーションが取りづらくなっています。故に、インターネット上のコミュニケーションの在り方を理解する必要がある時代になってきました。

私自身、この現状でどう立ち回ればいいか分かりません。だからこそインターネットが人間の人格形成にどう影響を与え、これからのインターネット時代でどう生きていけばいいのかを考えていきたいと思い、この記事を書いています。



人間はコミュニケートしながら人格を形成する

 

人間の起源は、考え、言語を使うところから始まりました。

想像し、言語化する一連の行動が人間の全てを作り上げています。様々な他者と関り、影響を受けた上で思考し、自分の考えを表現します。そしてまた他者と関り影響を受け合います。

こういうコミュニケーションを通じて、人間の人格というのは形成されていくんですかね。つまり人間の根本である「思考」と「言語化」はコミュニケーションの質に大きく依存します。それゆえコミュニケーションは人間の人格を形成する大きな要因なんでしょうね。

 

現実世界のコミュニケーション

現実世界のコミュニケーションでは、五感を多く用います。

相手が発した言葉だけで意味を汲み取るわけではありません。「大丈夫です。」という言葉をかけられても、相手の表情が明るかったり、暗かったりすることで意味合いは変わってきます。声色次第でも微妙な違いが伝わるし、その場の雰囲気でも変化しますよね。つまり現実世界のコミュニケーションでは、取得する情報は言葉のみではなく様々な要素があるし、それらを駆使して相手の意図を汲み取りながらコミュニケーションを取っていきます。

 

その過程で、私たちは想像を働かせます。

「相手は何を考えているんだろう。」、「どのように伝えたら分かりやすく伝わるだろうか。」など、そういう想像の試行錯誤を繰り返します。この試行錯誤は、また別のコミュニケーションの質に繋がるし、自らの思考力に大きな影響を与え深みをもたらすと思います。

しかし、現代の若者はこれに欠けており、そして原因はインターネットにあるらしいです。となれば、インターネットは人間の人格形成に大きな悪影響を与えてしまいそうです。



インターネットの台頭は思考の質に影響を与える

 

IT革命後、インターネットは我々の生活に多大な影響を与えてきました。

特にコミュニケーションの在り方は大きな変化を遂げています。インターネットを介せばリアルタイムで誰かと繋がれて会話ができる便利な世の中になりました。しかし、この便利なインターネットコミュニケーションが人間の人格形成に悪影響を与えているそうです。

 

大学の教授曰く、「若者は平面的な考えを、昔人は多面的な考えをもっている」そうです。

この違いは経験してきたコミュニケーションの違いにありそうで、昔人は先述した現実世界のコミュニケーションを取ってきた人々です。つまり思考を繰り返し、想像を働かせ、より物事を多面的に思考する習慣があります。重ねて述べますが、そういう労力=人間らしさであり、人格形成に繋がります。

 

一方で若者は平面的な思考を持ち、すぐに答えを求めてしまうという。その原因の1つにインターネットがあるそうです。

インターネットは思考の労力を不必要にする傾向のある文化です。調べたい事柄があれば、漠然としたキーワードを検索すればある程度欲しい情報がヒットしたり、先にジャンルごとに項目分けされたフィルター検索機能があったり、そして使用すればするほど興味を引く情報を提供してくれるレコメンド機能があったりします。普段何気なく使用しているインターネットの機能は、自ら考えなくとも情報を与えてくれるツールなんです。

情報社会である世の中は情報の流れが速く、インターネットで調べれば考えなくとも済む状態が優先される端的至上主義です。つまり、人間特有の想像し、言語化する力の欠如に繋がってしまうんです。

現に我々がインターネット上で取るコミュニケーションにも変化が生まれています。



インターネット上での他者とのコミュニケーション

 

他者との会話のハードルは大きく下がったが、質は大きく変化しています。

ネット特有の略語やスタンプ機能、チャットは端的な情報を発し合い、チャットログは画面外に消えていく。リアルタイムで複数人と関りあう故に同時にさまざまなトピックについての会話が広げられます。だからこそ端的な情報交換が好まれるし適しているんです。

つまり、現実世界で行われてきたコミュニケーションとはほぼ真逆な行動になっていますね。先述通り、若者は端的なコミュニケーションを好み、人格形成に大切な要素が得られにくい環境で生きています。そして適切な人格形成の機会は得られにくいネットでは、多くのトラブルが起きています。



なぜインターネット上では攻撃的な人が生まれやすいのか①

 

インターネットは危険なものであるイメージが強いです。

事実私自身がインターネットを利用する際に、現実世界では考えられないようなネガティブな言動を繰り返すユーザーは多く見かけます。画面越しに存在しているのは紛れもない人間であるのに、その相手に対して心にもないことを書き込んだり、揉め合ったりするケースが多々起きています。なぜインターネット上では現実世界よりネガティブな事象が起きやすいんでしょう。

 

一つ目に、非言語コミュニケーションが乏しい点があります。

インターネットを介した会話と、現実世界での対面会話で自己表現の変化を比較した実験があり、結果は対面式の方が同意を生む会話が多く、インターネットを介すと不同意が生まれる傾向にあったそうです。この差異は、非言語コミュニケーションの有無が要因となっています。人間は相手へ抱く第一次的な印象に「温かそう」か「冷たそう」があり、非言語コミュニケーションが温かさを生む要因となっていることが分かります。つまり、非言語コミュニケーションが困難なインターネット上のコミュニケーションは、ネガティブな感情が生まれやすく、トラブルが起きやすい環境にあるということを示唆します。

 

とはいえ、現実世界でもネガティブな感情を抱くコミュニケーションは多く存在するだろうが、なぜこれだけインターネット=トラブルの温床というイメージが強いのでしょう。以下でその他の原因を挙げていきます。

 

1つ目に、思考が極端な人は発信したがる傾向にあることです。

インターネット上では誰もが自由に発信できます。発信しなくても良いわけで、閲覧のみで利用するユーザーも少なくないです。つまり、確固たる意見を持っていたり、それを誰かに聞いてもらいたい様なある意味使命感に駆られたユーザーが発信する傾向にあります。

2つ目は拡散性です。インターネット(主にSNS)はシェアする文化があります。気に入ったサイトを友人にシェアしたり、逆に良し悪し関係なく話題性の強い情報もシェアされやすいです。過激な意見が拡散されようが止める人はいないし、止める権利もありません。

上記の様なインターネット特有な特徴が、ネガティブな意見を際立たせるではないでしょうか。



なぜインターネット上では攻撃的な人が生まれやすいのか②

 

大学の教授より、インターネット時代と中世・ルネッサンス期の人々の行動が類似しているという話を聞きました(上手く理解できていないけど)。

 

中世の絵画は遠近法が無く、立体性を感じられない作品が主でした。これは当時の人々の生活にも表れています。各宗教が一神教であり、互いにぶつかり合って宗教戦争を起こしていました。これに関しても思考の平面性、多面性が影響しており、一神教という信じる神は1人であり、それ以外はあり得ないと考えるのは主観性が非常に強いことが分かります。各信仰者が他の信仰者に一神教という主観をぶつけるから争いが起きてしまっていたそうです。

しかし、中世の後期に遠近法を絵画に取り入れ始め、絵に立体性を生み出すことで文化が発展しルネサンス期へ変化していきました。これは絵にリアル感をもたらし、客観的に見た状態を表現すケースが増え、風潮として、主観性に客観性を含める文化にあり、発展していったという話らしいです。

 

インターネットの場合で考えてみます。

前提として、インターネットは平面的な思考が強いです。つまり主観でモノを語る傾向にあり、客観性を得にくい環境です。だからこそ、主観と主観のぶつかり合いになってしまい、不毛な議論が続きトラブルに繋がってしまうのでしょう。

つまり、平面的な思考(強い主観性)に如何に立体的な思考(客観性)をもたらすかが、インターネット上でのコミュニケーションにおいて重要になるのかなと思っています。



インターネットで人間らしさは生み出せるのか

 

最後に改めてまとめてみます。

人間は、コミュニケーションを取りながら他者と関わります。これは普遍的な事実です。その過程で沢山想像し言語化することで主観に客観性をもたらし、自らの思考の質を挙げていきます。そして他者と円滑なコミュニケーションを取る術を学びながら人格を形成します。

 

しかし、インターネットは主観のぶつかり合いが蔓延る空間であるから、人間らしい人格形成ができにくいのが現状です。

 

一昔前は特に問題視する必要は無かったと思います。なぜならインターネットは利用した人だけ利用すればよかったからです。しかし、現在はインターネットを介すケースが多くを占めており、仕事のようなより質の高いコミュニケーションを必要とする事もインターネットで行われています。また、人格形成をする大切な時期である若者の期間に、現実世界よりもインターネット上でのコミュニケーションの方が多くなってるケースは多く存在します。そんな大切な期間を主観のぶつかり合いをし続ける環境で過ごす時間が増えたらどうなるんでしょう…

 

とはいえ、インターネットという空間では現実世界のような空間を創るのは難しいと思います。

インターネットは、自由に発信したい人が発信したいことを言う場所です。仮に極端な意見や誹謗中傷のような発言をしたところで、それを止めるようなまとめ役は存在しません。強い意思を持ったら、何の気兼ねもなく次から次へと発信していくことが可能です。

でも現実世界では、いつまでも同じ話題をしていたり、批判や誹謗中傷ばかりを会話でしていたりしたら、相手は嫌な顔をするか、その会話をいずれ遮りますよね。最悪の場合、自分の周囲から離れていくかもしれません。このように、現実世界のコミュニケーションには「社会性」というものがあり、リアルでは常に保たれるようになっています。

 

つまり、インターネットにはまだ社会性がなく、倫理観も無い。

その中で人間らしい人格形成は可能なのでしょうか。

 

重ねてになるが、人間は他者と日々コミュニケーションを取りながら生きています。対面で会話するものもいれば、チャットを通して会話するものもおり、SNSで一方的に何かをつぶやこうがそれは誰かの目に止まるし、その誰かが反応するケースもあります。

なぜならば、人間というのは常に何かしらの形で他者と繋がりあっていたい生物であるから。つまりどんな形で人間が何かを表現しようが、最後にどこかの人間が受け取ります。これは社会性のないインターネット上でも同様です。

 

そんな現状であるが、今後更にインターネット時代に突入していくと予想されています。だからこそより正しい人格形成が必要です。そんな時代の中で人間らしい人格形成をどこでどのように育むのか。念頭に置きながらインターネットに触れていると、これからの自分のネットコミュニケーションの質は変わっていくかもしれないですね。