りょうやのあーかいぶ

りょうやの知的好奇心をさらけ出す倉庫

人間はみんな繋がりあっていたいもの。それが人間らしさってものだと思うの。

人間は日々思考し言語化を繰り返して生きています。

その行為を手段として他者と関わることで、人間は人格を形成していく側面を持っています。これは他の生物と異なり人間だけが持つ唯一の特徴です。

この行為は、ただ言葉だけでコミュニケーションを取るだけではなく、相手の表情や声色、見た目、その場の雰囲気など、五感を通すことでコミュニケーションを取ることを指します。つまり言葉だけでは汲み取れない感情があるし、そういう様々な要素を拾って思考し表現するのが人間らしさと言われる部分だと思っています。

 

IT革命以降、インターネットの台頭が著しくしくなりましたよね。インターネットで調べものをしたり、買い物をしたり、他者とコミュニケーションを取ったり、、、現実世界で行われてきた事がインターネット上で行われる便利な時代になっています。

でも、一方でインターネット上でのコミュニケーションでトラブルが起きるケースも目立つ様になりました。

ネットの匿名性というフィルターを通すと人格が変わってしまう人々や誹謗中傷をしあって揉める人々、それが激化して自殺してしまう人など、、、。

インターネット上でのコミュニケーショントラブルが大きな社会問題になっていることが事実として起きています。

 

今までは”インターネットは使いたい人だけが使えばいい”、それで済んでいました。しかし時代は大きく変化し、仕事やインフラ関連などもインターネット上で行われる環境になっています。つまり、インターネットは使わないといけない存在になっているし、仕事のような、より質の高いコミュニケーションを必要とする行為もインターネット上で行うようになっています。

 

現状、人間は現実世界よりインターネット上で他者と関わるケースが増え、冒頭で記した人間の人格形成に大切な五感で感じるコミュニケーションが取りづらくなっています。故に、インターネット上のコミュニケーションの在り方を理解する必要がある時代になってきました。

私自身、この現状でどう立ち回ればいいか分かりません。だからこそインターネットが人間の人格形成にどう影響を与え、これからのインターネット時代でどう生きていけばいいのかを考えていきたいと思い、この記事を書いています。



人間はコミュニケートしながら人格を形成する

 

人間の起源は、考え、言語を使うところから始まりました。

想像し、言語化する一連の行動が人間の全てを作り上げています。様々な他者と関り、影響を受けた上で思考し、自分の考えを表現します。そしてまた他者と関り影響を受け合います。

こういうコミュニケーションを通じて、人間の人格というのは形成されていくんですかね。つまり人間の根本である「思考」と「言語化」はコミュニケーションの質に大きく依存します。それゆえコミュニケーションは人間の人格を形成する大きな要因なんでしょうね。

 

現実世界のコミュニケーション

現実世界のコミュニケーションでは、五感を多く用います。

相手が発した言葉だけで意味を汲み取るわけではありません。「大丈夫です。」という言葉をかけられても、相手の表情が明るかったり、暗かったりすることで意味合いは変わってきます。声色次第でも微妙な違いが伝わるし、その場の雰囲気でも変化しますよね。つまり現実世界のコミュニケーションでは、取得する情報は言葉のみではなく様々な要素があるし、それらを駆使して相手の意図を汲み取りながらコミュニケーションを取っていきます。

 

その過程で、私たちは想像を働かせます。

「相手は何を考えているんだろう。」、「どのように伝えたら分かりやすく伝わるだろうか。」など、そういう想像の試行錯誤を繰り返します。この試行錯誤は、また別のコミュニケーションの質に繋がるし、自らの思考力に大きな影響を与え深みをもたらすと思います。

しかし、現代の若者はこれに欠けており、そして原因はインターネットにあるらしいです。となれば、インターネットは人間の人格形成に大きな悪影響を与えてしまいそうです。



インターネットの台頭は思考の質に影響を与える

 

IT革命後、インターネットは我々の生活に多大な影響を与えてきました。

特にコミュニケーションの在り方は大きな変化を遂げています。インターネットを介せばリアルタイムで誰かと繋がれて会話ができる便利な世の中になりました。しかし、この便利なインターネットコミュニケーションが人間の人格形成に悪影響を与えているそうです。

 

大学の教授曰く、「若者は平面的な考えを、昔人は多面的な考えをもっている」そうです。

この違いは経験してきたコミュニケーションの違いにありそうで、昔人は先述した現実世界のコミュニケーションを取ってきた人々です。つまり思考を繰り返し、想像を働かせ、より物事を多面的に思考する習慣があります。重ねて述べますが、そういう労力=人間らしさであり、人格形成に繋がります。

 

一方で若者は平面的な思考を持ち、すぐに答えを求めてしまうという。その原因の1つにインターネットがあるそうです。

インターネットは思考の労力を不必要にする傾向のある文化です。調べたい事柄があれば、漠然としたキーワードを検索すればある程度欲しい情報がヒットしたり、先にジャンルごとに項目分けされたフィルター検索機能があったり、そして使用すればするほど興味を引く情報を提供してくれるレコメンド機能があったりします。普段何気なく使用しているインターネットの機能は、自ら考えなくとも情報を与えてくれるツールなんです。

情報社会である世の中は情報の流れが速く、インターネットで調べれば考えなくとも済む状態が優先される端的至上主義です。つまり、人間特有の想像し、言語化する力の欠如に繋がってしまうんです。

現に我々がインターネット上で取るコミュニケーションにも変化が生まれています。



インターネット上での他者とのコミュニケーション

 

他者との会話のハードルは大きく下がったが、質は大きく変化しています。

ネット特有の略語やスタンプ機能、チャットは端的な情報を発し合い、チャットログは画面外に消えていく。リアルタイムで複数人と関りあう故に同時にさまざまなトピックについての会話が広げられます。だからこそ端的な情報交換が好まれるし適しているんです。

つまり、現実世界で行われてきたコミュニケーションとはほぼ真逆な行動になっていますね。先述通り、若者は端的なコミュニケーションを好み、人格形成に大切な要素が得られにくい環境で生きています。そして適切な人格形成の機会は得られにくいネットでは、多くのトラブルが起きています。



なぜインターネット上では攻撃的な人が生まれやすいのか①

 

インターネットは危険なものであるイメージが強いです。

事実私自身がインターネットを利用する際に、現実世界では考えられないようなネガティブな言動を繰り返すユーザーは多く見かけます。画面越しに存在しているのは紛れもない人間であるのに、その相手に対して心にもないことを書き込んだり、揉め合ったりするケースが多々起きています。なぜインターネット上では現実世界よりネガティブな事象が起きやすいんでしょう。

 

一つ目に、非言語コミュニケーションが乏しい点があります。

インターネットを介した会話と、現実世界での対面会話で自己表現の変化を比較した実験があり、結果は対面式の方が同意を生む会話が多く、インターネットを介すと不同意が生まれる傾向にあったそうです。この差異は、非言語コミュニケーションの有無が要因となっています。人間は相手へ抱く第一次的な印象に「温かそう」か「冷たそう」があり、非言語コミュニケーションが温かさを生む要因となっていることが分かります。つまり、非言語コミュニケーションが困難なインターネット上のコミュニケーションは、ネガティブな感情が生まれやすく、トラブルが起きやすい環境にあるということを示唆します。

 

とはいえ、現実世界でもネガティブな感情を抱くコミュニケーションは多く存在するだろうが、なぜこれだけインターネット=トラブルの温床というイメージが強いのでしょう。以下でその他の原因を挙げていきます。

 

1つ目に、思考が極端な人は発信したがる傾向にあることです。

インターネット上では誰もが自由に発信できます。発信しなくても良いわけで、閲覧のみで利用するユーザーも少なくないです。つまり、確固たる意見を持っていたり、それを誰かに聞いてもらいたい様なある意味使命感に駆られたユーザーが発信する傾向にあります。

2つ目は拡散性です。インターネット(主にSNS)はシェアする文化があります。気に入ったサイトを友人にシェアしたり、逆に良し悪し関係なく話題性の強い情報もシェアされやすいです。過激な意見が拡散されようが止める人はいないし、止める権利もありません。

上記の様なインターネット特有な特徴が、ネガティブな意見を際立たせるではないでしょうか。



なぜインターネット上では攻撃的な人が生まれやすいのか②

 

大学の教授より、インターネット時代と中世・ルネッサンス期の人々の行動が類似しているという話を聞きました(上手く理解できていないけど)。

 

中世の絵画は遠近法が無く、立体性を感じられない作品が主でした。これは当時の人々の生活にも表れています。各宗教が一神教であり、互いにぶつかり合って宗教戦争を起こしていました。これに関しても思考の平面性、多面性が影響しており、一神教という信じる神は1人であり、それ以外はあり得ないと考えるのは主観性が非常に強いことが分かります。各信仰者が他の信仰者に一神教という主観をぶつけるから争いが起きてしまっていたそうです。

しかし、中世の後期に遠近法を絵画に取り入れ始め、絵に立体性を生み出すことで文化が発展しルネサンス期へ変化していきました。これは絵にリアル感をもたらし、客観的に見た状態を表現すケースが増え、風潮として、主観性に客観性を含める文化にあり、発展していったという話らしいです。

 

インターネットの場合で考えてみます。

前提として、インターネットは平面的な思考が強いです。つまり主観でモノを語る傾向にあり、客観性を得にくい環境です。だからこそ、主観と主観のぶつかり合いになってしまい、不毛な議論が続きトラブルに繋がってしまうのでしょう。

つまり、平面的な思考(強い主観性)に如何に立体的な思考(客観性)をもたらすかが、インターネット上でのコミュニケーションにおいて重要になるのかなと思っています。



インターネットで人間らしさは生み出せるのか

 

最後に改めてまとめてみます。

人間は、コミュニケーションを取りながら他者と関わります。これは普遍的な事実です。その過程で沢山想像し言語化することで主観に客観性をもたらし、自らの思考の質を挙げていきます。そして他者と円滑なコミュニケーションを取る術を学びながら人格を形成します。

 

しかし、インターネットは主観のぶつかり合いが蔓延る空間であるから、人間らしい人格形成ができにくいのが現状です。

 

一昔前は特に問題視する必要は無かったと思います。なぜならインターネットは利用した人だけ利用すればよかったからです。しかし、現在はインターネットを介すケースが多くを占めており、仕事のようなより質の高いコミュニケーションを必要とする事もインターネットで行われています。また、人格形成をする大切な時期である若者の期間に、現実世界よりもインターネット上でのコミュニケーションの方が多くなってるケースは多く存在します。そんな大切な期間を主観のぶつかり合いをし続ける環境で過ごす時間が増えたらどうなるんでしょう…

 

とはいえ、インターネットという空間では現実世界のような空間を創るのは難しいと思います。

インターネットは、自由に発信したい人が発信したいことを言う場所です。仮に極端な意見や誹謗中傷のような発言をしたところで、それを止めるようなまとめ役は存在しません。強い意思を持ったら、何の気兼ねもなく次から次へと発信していくことが可能です。

でも現実世界では、いつまでも同じ話題をしていたり、批判や誹謗中傷ばかりを会話でしていたりしたら、相手は嫌な顔をするか、その会話をいずれ遮りますよね。最悪の場合、自分の周囲から離れていくかもしれません。このように、現実世界のコミュニケーションには「社会性」というものがあり、リアルでは常に保たれるようになっています。

 

つまり、インターネットにはまだ社会性がなく、倫理観も無い。

その中で人間らしい人格形成は可能なのでしょうか。

 

重ねてになるが、人間は他者と日々コミュニケーションを取りながら生きています。対面で会話するものもいれば、チャットを通して会話するものもおり、SNSで一方的に何かをつぶやこうがそれは誰かの目に止まるし、その誰かが反応するケースもあります。

なぜならば、人間というのは常に何かしらの形で他者と繋がりあっていたい生物であるから。つまりどんな形で人間が何かを表現しようが、最後にどこかの人間が受け取ります。これは社会性のないインターネット上でも同様です。

 

そんな現状であるが、今後更にインターネット時代に突入していくと予想されています。だからこそより正しい人格形成が必要です。そんな時代の中で人間らしい人格形成をどこでどのように育むのか。念頭に置きながらインターネットに触れていると、これからの自分のネットコミュニケーションの質は変わっていくかもしれないですね。

ボクたちはみんな大人になれたのだろうか

先日、Netflix作品「ボクたちはみんな大人になれなかった」を見ました。

 

(映画の詳細や正確なあらすじなどは自分で調べてください。今回は僕個人が感じた感想をつらつらと書いていきます。)

公式サイト

映画『ボクたちはみんな大人になれなかった』

 

映画について

以下、僕個人の解釈です。

この映画は、現在43歳の会社員男性(主人公)が現在から過去へ回想をしていく話です。主人公は内気な性格で、人生の中で出会ってきた人々から様々な言葉を浴び人格が形成されていく様子が描かれていました。

 

映画を見てレビューを書くことなんか無い僕がなぜ今回書いているのか、それは最近”普通の大人”っていうのが何かよくわからなかったから。なんか映画を見終えてもモヤっとした感情が残ってて。

だからこの映画を見て何となく浮かんだ感情を言葉として成仏させたくて書いています。

 

映画内の注目するポイントは、”普通の大人とは”、”普通の大人になるべきか”。

主人公は出会う女性から、「フツーだね」とあざ笑われたり、「フツーが一番」と押し付けられたり、「フツーって素敵だよ」と羨ましがられたりします。その中で内気で影響を受けやすい主人公が43歳になった今現在何を思うか、的な部分です。

 

世間と普通と大人と僕

僕は幼少期に”普通”にあこがれ、”普通な人間”を目指しました。だけど歳を重ねるにつれ”普通”を手に入れると、”普通”を煙たがり、”普通じゃない人間”を目指しました。

でも24歳になり、”大人”というレッテルにぶつかっています。大人っていうのは普通に生きることが真っ当で、普通に生きることで世間から受け入れられる存在です。

だからこそ普通じゃない人間は世間とのギャップを感じます。

 

「普通じゃない人間を目指していたならそれでいいじゃないか。」そう思うでしょう。

でもそれじゃあ世間から突き放されるんです。わがままだけどそれって嫌じゃない、、、。

だから自分の中にある普通が嫌な感情と世間が求める普通とで擦り合わせていく必要があります。

 

でもそんな擦り合わせって中々難しい。その答えを見つけようとしても簡単に導きだせません。それでも世間とのギャップは埋まらないまま。

そういう苦しさやもどかしさを絶賛感じているわけです。

 

思考のクセのおはなし

そんな中、ある人に今の若者たちと昔人たちの思考の違いのお話を聞く機会がありました。

若者は平面的な思考で、昔人は多面的な思考を持っている、みたいな話。

 

今はIT革命もあり相手と繋がりたいときに繋がれて、相手とのコミュニケーションが容易になりましたよね。方や、簡易的なコミュニケーションが主流となり、すぐに答えを得やすい世の中にもなってしまったそう。確かにネットで調べたらすぐに答えも見つかるし、ネットの仕組みもユーザーがすぐに答えを見つけやすいようアシストをしてくれます。

思考する習慣がなくなりつつあるということであり、だからこそ僕たちは答えをすぐに求めたがるクセがあるらしいです。

一方で、昔人は少なくわかりづらい情報の中から答えを見つけてきたので、思考の深さや回数が多く様々な答えを生み出していくんだそう。ざっくりいうとこんな感じ。

 

つまり、凄く端的に言うと物事には色々な答えがあってそれを人生の中でゆっくりと思考して見つけていけばいい、っていうことなんですかね。

 

悩みもがき続ける=人間らしさ?

さて、話を戻します。僕は普通の大人とは何だろうって思ったり、世間とのギャップを感じたりして悩んでいます。

 

みんなにも色々な悩みがあるでしょう。日々の小さな悩みだったり、自分だけにある生きていく中で大きな足かせになっている大きな悩みだったり。 僕にもみんなに言えないような悩みは沢山あります。

どんな悩みでも解決はしたいものだけど、簡単に受け入れたり解決できたりしないから悩んでいるわけでもありますからね。

 

でもこの映画をみたり、色々な話を聞いたりしてると、案外答えや解決策なんてすぐに見つけなくてもいいものっぽい?

 

悩みっていうのは他者と比較して生まれるものだと思っていて、もちろん世間や周りと比べて悲観的になることは当然あります。でも焦って解決策を求めても見つからないんだし、とりあえずは今日も1日生きてればいいんですかね。(世間は急かすけど泣)

「人間は考える葦」っていうし。ゆっくり悩みながら人生を歩もうかなって思ってます。

 

だって映画の主人公も43歳になった今でも”普通”について悩み、考えているんだから(笑)

 

 

(本記事は感情の吐き出し会なので推敲していません。記事内容の薄さや文章の構成力はご了承ください、、、。共感される記事内容ではないと重々承知しています。むしろ批判的な意見の方が生まれるでしょう。特に何かを訴えたいわけでもなくただの記録用なので悪しからず。最後に、この記事を見つけて読んでくれたあなた、本当にありがとう。)

 

 

 

 

企業研究をする意味は全てLINEが教えてくれた

こんにちは。りょーやです。

 

就活シーズンですね。

志望企業の内定貰えた方、おめでとうございます。

頑張ってる方 、納得できるまで自分のペースで頑張ってください。

 

僕は先日、仕事の関係でLINEが開催するカンファレンスに取材に行ってきました。

LINE凄いね... 2011年のサービスが開始される時には、これだけ大企業になるとは思ってなかったわ。

 

今回の記事は、僕がLINE CONFERENCEに参加した時にふと思った、就活シーズンになるとよく話題にでる「企業研究」について。 みんな企業研究、企業研究いうけど、結局なんのためにするんだ?企業研究の本質って何や?って言う部分について僕の考察を書いていきますね。

就活中の人や、始める前の人はもちろん、考え方によっては他の事にもこの本質は通づるから自分と照らし合わせて読んでみてね。

 

 

突然ですが、どれだけ自分がやりたいことがあっても、それを受け取る相手(社会)からの需要が伴っていないとやった所で結果は付きにくいし、じゃあ需要って何や?とか考えるのって、とても難しいじゃないですか。


そんな中、LINEはあれだけ大規模になっても、「このサービスはLINEユーザーの生活をどう豊かにするだろうか?」を常に考え続けているんですよ。

今回のカンファレンスでの発表もその理念に通づるサービスばかり発表されました。

 

これって本当にすごいことで、友人関係・恋愛・就活・ビジネスなどの様な、人と人が関わる事象全てに通ずるし、だからこそ自分の気持ちのみではコミュニケーションは進みませんよね。だからLINEみたくユーザーファーストの視点を持ち続けることは非常に難しい訳ですよ。

 

ということでLINEの魅力をたっぷり浴びてきた僕は、LINEに入るぞ、と決意してしまいそうになるぐらい数日間興奮してました笑

 

僕は21卒なので、そろそろどこで働こうかなーとか考え中なんですが、LINEの様な大手企業に挑戦するか、今参加しているインターン先に挑戦するか迷い中なんですよ。あれだけLINE最高!って思ってたのに笑

 

インターン先と悩む理由は、そこではやりたい仕事がやれているし、そのインターン先に就職したあとの自分が「何をやって」「どういう働き方になるか」想像できるんですよね。

加えて何より人が良い。働いて思ったけど、本当に働く環境って大事だなあと。その辺の現場の情報って知りにくいけど、大切な情報ですよね。

 

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こういうことを考え始めた時に、とっても大事だなって思うことは、

''そこにいる未来の自分がどれだけ細かくイメージできるか''

ということです。

 

これって単純な話で、自転車って乗れるでしょ? でも自転車乗るのって躊躇しないでしょ?
なんでかというと、それは自転車に乗った時自分がどうなるか想像できるから。

でも例えば僕達の世代で言うと、今僕達が就活・社会に出ることに対して不安や拒否を起こす理由って何かって言うと、それはイメージが出来ないからだと思う。

 

"就活経験がないからイメージできずに不安になる''
''ビジネス社会にまともに出たことが無いからイメージできず不安になる''

 

自転車の話と同じですよね。


こういう不安が新しい自分へと踏み出す勇気を潰してしまうんだろうね。

 

じゃあどうしたらいいんだろう?
正直、自分自身の中で確実な答えは見つかっていないんですが、たぶん先述した様にどれだけイメージの精度を上げれるか、だと思うんです。

 

じゃあ、それはどうやってやるか?
就活に不安だったら本命企業の前にどこか他の企業を受けてみればいい。
ビジネス社会に出るのが不安だったら、中期長期のインターンをやって実務を体験すればいい。

僕自身だったら、''LINEで働いている自分''をどれだけ具体化させれるかが重要なんだろうなと。


LINEってどんなサービスがあって、その様々なサービスの中で自分はどこのサービスに携わって、特にどんな業務をしているのか。
逆にLINEで新規事業を立ち上げてみるのも良いのかもしれない。
じゃあ、LINEが出していなくて、LINEユーザーが潜在的に欲しているものはなんだろうか。
LINEに足りなくて、競合サービスにあるのも何か。

 

こういうところを詰めに詰めていけば、未来の自分がLINEで何をやっているか。
未来のみんなは何処で何をやっているか。
想像つきやすくなるし、1歩踏み出しやすいんじゃないかな。

 

あと、企業側も先述した様に想像できる学生の方が絶対採用したくなると思うんです。
入ってからどうなるかわからない人より、「彼はこの部署でこういうことをやらせれそうだ」って思える人の方が確実に欲しそうじゃないですか?

 

その観点でいくと、一番最初に話した、
"自分のやりたいこと'' と ''相手からの需要'' が合うことって重要だよね、って話の信用度・理解度が上がってきません?

 

よく大学の先生から企業研究をしろ!って言われるじゃないですか?

「企業を知ることは大事だよ」って漠然とした事をよく言われてて、結局ところ企業研究の本質なんや?って考えてました。

でもLINEカンファレンスにいって、その話を軽く書こうと思ってたら色々気付かされました。

 

どうですか? 就活経験者の方は何を考えて企業研究してたんだろう。 暇な方は教えてね。

 

では。

 

自分の気持ちを素直に伝えられる相手はいるだろうか。「君の膵臓をたべたい」を読んで思ったお話

こんにちは。りょうやです。

 

突然ですが、皆さんは「君の膵臓をたべたい」という話を知っていますか。

 

もうすぐアニメ版が放映されるぐらい、有名な小説です。

 

実写化もされたほどなので、知っている方も多いのでは。

 

僕も最近やっとこの小説を読みました。

 

経緯は忘れたけど、特に借りる予定も無かったんですが、友人からこの小説を借りることなりました。

 

周りの友人から、面白いと紹介されてたので名前は知っていたものの、読むまでには至っていませんでした。

 

皆がおすすめするだけあって、とても面白いお話でした。

 

読了後、ひっさびさに泣きました。

たぶん皆も泣いただろうけど。

 

しかも、東京から名古屋行きの夜行バスの車内で、大号泣しました笑

 

真っ暗な中で鼻水すすってました笑

 

僕普段全く泣かないんですが、久々に泣いたので、身体がびっくりして指の先まで身震いしてました笑

 

で、この本を読んで思ったことがいくつかあったので、それを記録に残しておきたいと思います。

 

 

まず、僕らのこの''日常''は、本当にいつ終わるか分からない。ってことを再確認しました。

 

まあこれは特に日本人だからそう感じるのかもしれないんですが、僕ら日本人は、所謂''平和ボケ''をしています。

 

不謹慎だけど、中東の紛争地域みたいに、急に爆撃を受けることもないし、アメリカで起きた銃発射の事件みたいなことも全くありません。

 

本当に平和な国だと思います。

 

まあ、自殺者数がワースト1位だったり、貧困層が多かったりなど、社会問題は山積みです。

 

なので、平和じゃないって思う人もいるでしょう。

 

でも、普通に生活してりゃそんなにこれらの問題が浮き彫りにならないのが日本です。

 

これも僕らが'''平和ボケ''してしまってる要因の1つでしょう。

 

僕は、「平和ボケ」というのは ある意味''油断''だと思ってます。

 

 

"油断''するとどうなるか。

 

痛い目に逢います。

 

皆さんも生活しててそんな経験ありませんか。

 

テスト勉強でこの範囲は出ないだろ。

って油断してたらガッツリ出題されたり...

 

ほら、痛い目逢いましたね笑

 

で、「やっておけばよかった〜」って思うんですよ。

 

つまり後悔するんです。

 

後悔って皆さんしたいですか。

 

失敗は成功の元っていうけど、成功してた方がそりゃいいに決まってますよね。

 

 

話をまとめると、

日本人は、平和ボケしている。

なので僕らは普段、油断して生きている。

そうすると、痛い目に遭うことがある。

だから、後悔する。

 

こんな感じです。

 

 

だから、この小説を読んで僕らは、ひしひしと感じるんです。

 

ああ、関わってくれる全ての人達に感謝しよ。や、

自分の気持ちに正直になろう。とか、

伝えたいことは素直に伝えよ。って。

 

 

さっきのテストでの後悔の例だとあまりここまで思いはしないと思うけど、この小説を読んだ人達はこう思うはずです。

 

 

でも、僕はここで1つの問題に直面しました。

 

それは、そう簡単に伝えれるか?ということです。

 

「君の膵臓をたべたい」を読むと、「伝えたいことは伝えよう」って思いますよね。

 

でも、それって結構難しくないですか?


僕は、基本的に自分よりも常に相手の気持ちを優先して生きているんですが、

本当は伝えたいことも、「今じゃない」といつも心に閉まっておくことが多々あります。

 

皆さんはどうですか?

 

言いたいことは、突発的に言ってしまう。

相手に変に思われたくないから、言わない。

なんとなく恥ずかしい。

 

人によって様々だと思います。

 

ここで僕が思うのが、

「自分をさらけ出せる相手は、とても大切だな。」

ってことです。

 

SNSは、好きなことを呟いたりシェアできることが特徴でした。

しかし、今のSNSは現実で知り合っている人からフォローされたら、フォローバックしなければいけないのが当たり前です。

 

そんなあまり仲良くない人が見ているSNSで皆さんは、自分の気持ちをシェア出来ますかね。

 

ってなったときに、「信頼出来る相手」っていうのは本当に大切なわけで。

彼らは、自分の気持ちを受け止めてくれます。認めてくれます。

だから、自分の気持ちを素直に表現できる相手なんですよね。

 

僕の代は、就活が始まり、人生の中で大きな選択を迫られる期間に入っています。

 

「自分は何がしたいだろうか?」

「自分ってどんな人間だろう?」

 

こういう「自分」を問う疑問って凄く答えを出すのが難しいです。

 

そんな時に助けになるのが、そういう友人たちだと思います。恋人でもいいと思います。

 

でもそんな友人に「素直な気持ちを表現できる相手」がいなかったら、1人で行き詰まってしまう。なんてこともあるし、実際そんな悩みを持った友人も何人かいます...

 

「君の膵臓をたべたい」とは、かけ離れてしまいましたが、

 

伝えたい気持ちは伝えるべき。

でも、今の世の中そんな簡単に出来ない。

だからこそ、SNSでなんかじゃなくて、面と向かった人間関係って本当に大切。

 

SNS用のキャラとかじゃなくて、本当の自分を受け入れてくれる人間を大切にしようって思いました。

逆に、友人が話してくれたらちゃんと受け止めてあげることも大切です。

自分の偏見や意見を言うことが、悪いとは思わないけど、まずは認めてあげる。これって本当に重要なので。

 

あ、全然力になれるか分からないけど、僕で良かったら話いくらでも聞きますね笑

 

じゃあ、このへんで。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当は皆に教えたくないけど、マーケティングってめっちゃ大事だから知っておいた方がいい。

こんにちは。りょーやです。

お久しぶりです。

電車乗りながらだから雑に書いたけど、良かったら見てってね。

 

今東京で一人暮らししてます。

理由は1年間インターシップに参加するためです。

まあ、週5フルタイムだからほぼ社員なんだけどね。

 

現在、basicというITベンチャー企業が運営しているWebメディア「ferret」でWebマーケティングに関する記事を書いたり、分析したり色々やってます。

 

これ僕が書いた記事。

しっかり名前と顔が載ってるから恥ずかしいけど笑

 

https://ferret-plus.com/11824

 

で、インターシップ参加してて思うのが、マジでみんなマーケティングの知識持っといた方がいい、ってこと。

 

今流行っているコンテンツがあるとして、

「なぜ、こんなに流行っているのか?」

「今後どうなるのか?」

って考えるのって結構大事で、この考え方はどの業種で働こうが絶対必要だと思うんです。

 

マーケティングとか全くイメージ湧かないって言う人もいると思うんだけど、

 

例えば、

Aさんとの会話どうしたら円滑になるだろう?って相手が好きそうな会話や雰囲気をつくったり、

Bちゃんのことが好きなんだけど、どうしたら好きになってくれるだろう?って相手が好いてくれそうな服考えたり、話題を振ったりって。

 

こんな風に相手のことを考えるだけでもうマーケティングなのよ。

 

こんな風にマーケティングってめっちゃ身近なんですよ。

 

これが得意な人って、友達多かったり、みんなに愛されてるイメージ。

 

これがただビジネスの場に移っただけね。

 

そこで、少しでもマーケティングのこと皆に知ってもらいたから、僕が書いた記事をシェアしますね。

他にも色々書いてるから見て欲しいし、それ以外にもこのferretにはビジネスの世界で生きる上で大事なスキルとか色々書いてあるから見といた方がいいですよ。

 

https://ferret-plus.com/11824

 

こうやって、このブログで時々僕が書いたWebマーケティング関連の記事をシェアしていくので、よかったら見てください。

 

忙しくて全然こっち更新できてないけど、マーケティングについての記事も時間あったらこのブログで書くし、クソどうでもいいような記事もかくのでこれからもよろしくお願いします。知らんけど。

 

 

 

世の中は、金?愛? 幸せに大事なものは?

こんにちは。りょうやです。

 

こっちのブログサボってました。ごめんなさい。 

というか別のサイトでずっと記事書いてました。

 

最近周りの友人の生き方を見てて、

「あ、書かなきゃ」って思ったので、走り書きですが書かしてください。

 

で、今回何を書くかって言うと、

 

「世の中、金?愛?幸せに大事なものは?」

 

じゃないんですよ笑 少しタイトルで釣りました。ごめんなさい。

まあ、でも少し似たお話をします。

(もちろん金が大事ですけどね笑)

 

最近生きてて、

「自分って人間運強いな...」

ってとても実感するんですよ。

 

小中高の時なんて苦手だなーって思う人いたじゃないですか?

もちろん大学入ってもそういう人はいるんでしょうけど。

 

でも今の僕の人間関係を考えた時に、

なんていうか、周りに嫌な人が一人もいなくて驚いてるんです。

 

そりゃ関わる相手を選ぶようになったからとかあるかもしれないんですけどね。

 

で、その素敵な友人について少し話したいんですけど

 


f:id:ryoya8423:20190206162906j:image

 

この2人なんですけど、

左が、sakyo君 (エンターテイナー)

右が、from123cmsociety君 (僕的に彼はインフルエンサー)

 

とりあえず2人のインスタを見て欲しい。

(インスタで投稿するので、そこから2人のアカウントをぜひフォローして見て欲しいです。)

 

歳を重ねるほど、今の自分を「変化」させようとする人が減っていく中で、

勇気をだして純粋に「変わりたい」っていう気持ちがあって、

それを形にするために頑張ろうとしている2人です。

 

もちろん2人の他にもたーーーくさん頑張ろうとしてる人が周りにたくさん増えてきました。

 

じゃあ、なんでこの2人をピックアップしたのか?

 

それは「発信」をしているからなんです。

 

前のブログでも話したんですが、

僕ら若者は、「他人からどう思われるか?」にすごい敏感なんです。

 

「こんな投稿したら周りにどう思われるかな...」

みたいな

「本当は~やりたいけど、自分のキャラ的に...」

的な。

 

そんな気持ちが根付いている中で、2人はSNSで発信し続けています。

 

で、じゃあ発信することの何がいいの?って話なんですけど、

それは単純に、

「他人に影響を与えれるから」

なんですよ。

 

例えば、僕が音楽の投稿をし続けるとしましょう。

そしたら皆は

「こいつ音楽好きなんだな」ってなりますよね?

 

派生すれば、

「音楽のこと聞くならこいつだな」

というように、他人に影響を与えていけるんです。

 

音楽じゃなくても、例えば少し前に流行ったZEPETO?だっけな。自分の顔作るアプリ

あれも、みんながやってるから自分もやってみようって流行っていきましたよね。

 

 

話を戻しますが、「変わろうとすること」はとても怖いことです。

 

でもそんな「変わろうとする行為」を1人でも多くの人が発信し続けていたら?

 

赤信号、みんなで渡れば怖くない。

と同じですね笑 ポジティブな意味として!

 

SNSだけの話じゃありません。

 

Aが恋愛相談や悩みを、Bに打ち明けるとしましょう。

そうすると、Bは「あ、この人は悩んでるんだ」って認識し、その悩みに対して助言するじゃないですか。

良い悩み相談だった場合、AからBに対して信頼ができていきますよね。

 

この信頼って結構大事で、

いつかBが悩んだ時に、Aは助けてあげたい。って思うはずです。

 

これは1例ですが、こんな感じで人間関係ってできていくんじゃないかな?って思っています。

 

SNSでも、現実世界でも

発信は大事なんです。

 

まあ、他にも自分の意見を発信することで、その意見が整理できたり、他人からのリアクションを元により良い意見にしていくこともできます。

 

そこで

「へーこんなこと考えてるんだ」

「わかる!自分と一緒の考えだ!」

みたいに相手に思わせれたらそこから少しずつ人間関係はできていきます。

 

僕もこのブログを初めてたくさんの人からのリアクションがありました。

 

そこからだけじゃないですど、

このブログや、自分と直接会話をしてくれることで、

仲良くしてくれる人、好きになってくれる人、頼ってくれる人が僕の周りに沢山います。

 

影響し合うことで、その人との信頼関係ができていって

「あの人のために助けてあげたい。」

「遊びたい」「頼りたい」

と続いていくのかなーって思います。

 

だって自分に良い影響を与えてくれる人と、繋がってたくないですか?笑

自分も頑張ろうって思えるし!

 

しかもそこでお金が発生することもありますからね。

営業なんて信頼関係が重要って言うぐらいですからね。

 

だって信頼出来るものにお金って払いたくないですか?

 

ハーゲンダッツか、僕が作ったアイス

同じ値段だったらどっち買います?笑

 

 

まあ、色々飛び飛びになりましたけど、

まとめると 

 

・発信することで他人に影響を与えれる。

・そこから信頼関係は出来ていく。

・世の中はもちろん金だけど、

    金を稼ぐには信頼が大切。つまり愛は意外と重要。

 

 

自惚れるけど、自分がこんな考えでいたから、周りにこれだけ恵まれているのかな?って最近思えてきました。

人間運の強さって自分で惹き付けるものなのかもしれないですね。

 

幸せをどこで感じるかなんて人それぞれですから、

みんなの中での幸せが何か?を考えてみて欲しいです。

で、人生をその幸せで埋めていけばきっと楽しい人生になりません?笑

僕は人との繋がりや、人に影響を与えていけることに幸せを感じるので、これからも発信していくし、周りを大切にしていきたいと思っています!

 

今回はこんな感じで終わりますね。

 

いつもこんな僕と仲良くしてくれてありがとうございます。

あと1ヶ月半、愛知にいる間に遊んでね笑

 

最後まで読んでくれてありがとうございます!

走り書きでごめんさない!

 

では。

 

 

 

 

偶然出会った、隣の席の女性とのお話。

 

こんにちは。りょうやです。

 

今東京にいます。

 

東京に向かう新幹線の車内で面白い出来事がありました。

 

今回は、1人で東京に向かったので相席だったんです。

 

隣の方は、母親ぐらいの年の女性。

スーツだったので仕事かな?

 

まあ、僕は暇なんで、1人で映画を見ながらくつろいでいました。

 

女性は、パソコン開いて仕事してました。

 

大変そうだ...

 

引き続き映画を見ていたら

 

女性「$”-&$¥$*’¥$[-&"$*$*@[$¥」

 

僕「...ん?」

 

 

え、僕に話しかけているのか?

 

イヤホンを外すと、もう一度話しかけられました。

 

女性「東京駅までどれぐらいかかりますか?」

 

僕「あと30分ほどだと思いますよ。」

 

(新幹線だから、調べたらすぐ分かると思うのにな...)

 

と思いながら、女性をみると何やらそわそわ。

 

僕「今からお仕事ですか?」

 

女性「はい、そうなんですよ...」

 

そのあと10分程会話をしました。

 

彼女は、桑名で働いているキャリアウーマンで、何やらその日の夜に東京で打ち合わせがあり、それが終わり次第、またすぐ帰ると。

 

なんとまあハードスケジュールな...

 

たぶん荷物をみると保険会社の方っぽいです。

 

女性曰く、ディズニーにはよく行くんですが、東京駅は全く来たことないそう。

 

よくありますよね、このパターン。

 

ディズニーめっちゃ行くけど、東京都内全く行かなくて、いざ行くとなるとめちゃくちゃ迷うパターン。

 

僕もそれでした。

 

でも、「スマホで調べればいいのに...」

 

って正直思っていました。

 

すると女性から、

「今の子達はスマホでなんでも調べるから凄いね。

でも私たちの世代は、スマホを使えたとしても、人に直接聞かないと気が済まないの。

最近の子は、直接コミュニケーション取らなくなってるだろうから、話しかけづらいのよね...」

 

こんな話をされました。

 

確かに僕らの世代からしたら、

直接誰か通行人に、道を聞く機会よりも、

Siriや、Googleに道を聞く機会の方が遥かに多いです。

なのでスマホに案内された情報を素直に信頼して目的地へ向かいます。

 

ていうか、道案内以外も基本同じことな言えるかなって。

 

直接聞いた人からの情報よりも、ネットから得た情報の方が遥かに多いし、

なんなら直接聞いたとしても、聞いた本人も元はネットってことが普通にある。

 

僕らにとって''普通''な事が、親世代にとって''特別''なことなんですよね。

 

正直、ネットに関して言うと親世代もネットを当たり前に使いこなせるようになるべきだと思います。

 

でも今回の女性との会話で挙がった、''直接的なコミュニケーション''。

 

間接的なコミュニケーションの前に、直接的なコミュニケーションが大前提という考え方。

 

皆さんはどう思いますかね?

 

近年、インターネットの発展により間接的に○○する機会が多くなりました。

 

ネットで、道を調べる。

ネットで、人と知り合う。

ネットで、情報を得る。

ネットで、面接をする。

ネットで、予約する。etc...

 

従来、人と直接的にコミュニケーションを取らなけれは、出来なかった事が、ほぼネットで済んでしまう生活が今の現状です。

 

 

スマホを触る=インターネットに接続している

 

ということが基本です。

 

電車に乗れば、多数がスマホをいじっている光景を見ると、昔より本当にネット利用時間ってみんな増えるのかなって思います。

 


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経済産業省によると、やはりネットの利用時間は増えています。

 

 

確かにいつも下向いてスマホいじってる人達に直接的なコミュニケーションを取りたいとは思わないですよね...

 

 

んーでも、どうなんですかね。

 

 

直接的なコミュニケーションが減ったことってそんな問題なんですかね?

 

たぶん、信頼度の問題だと思うんですよ。

 

でも、直接的な○○が、何故信頼できるんですかね?

 

この問に、ちゃんと答えれる人っているのかなあ。

 

僕はネットの発展は、ある意味コミュニケーションをより豊かにすると思ってます。

 

まず第一に、関わる相手の母数が一気に多くなります。

 

これにより、より様々なタイプの人間と関わることで、影響し合う機会が増え、人間性を高めることが出来るのかなって思います。

 

次に、自分が生きる規模が広がります。

 

ネットの発展により、多くのコミュニティが作り上げられました。

それにより、僕らは、様々なコミュニティで同時に生きることが出来るようになりましたよね。

 

ネットでの自分と、現実での自分は違うけど、同じ時間を過ごしている。

 

ある意味パラレルワールドですよね。

 

これにより、今生きている現実に不満があれば、また別のコミュニティに移動することができます。

 

つまり、自分自身で環境を簡単に変えることが出来るようになりました。

 

環境を変えると何がいいかって、新しい自分を見つけることができます。

 

高校生から、大学生に変わったあなたは、環境が変わったことで、外見が変わったり、性格が変わったりしていると思います。

 

環境って実は大事なんですよね。

 

 

ほら、ネットの発展って僕らに大きな影響を与えません?

 

 

こんなにインターネットが発達した世の中で、直接的、直接的って言い続けるのは如何なものかな...って思ってしまうのが、本音です。

 

 

女性との話に戻りますが、じゃあ、直接話しかけてきた事に関して僕が怒っているわけではありません。

 

でも、これだけ大きな規模に発展したインターネットの世界を、間接的だからといって信じれないまま生きるのは、これから苦労するのかなって思ってしまうだけです。

 

 

皆さんは、どう思いますか?

 

インターネットの発展は、善か?悪か?

 

 

もちろん、悪いところもあります。

 

でも、食わず嫌いもどうかなって。

 

 

その女性との会話で少し考えさせられました。

 

 

まあでも、その女性との会話で驚いたのは、彼女の出身が菰野町だったってこと。

 

菰野町ってどこや?って思う方が大半だと思いますが、この町は、僕らのゼミが今現在取り組んでいる地域活性化活動の対象となっている町です。

 

なので、菰野町の観光CMを撮影しているため、女性と菰野町の話でとても盛り上がりました笑

 

僕らのゼミ、横山ゼミのInstagram公式アカウントで随時、活動方向をしているので、フォローして応援してくれると嬉しいです!

 

ユーザーネーム: y__noyama https://www.instagram.com/y__noyama?r=nametag
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まあ、何が言いたいか分からなくなったけど、コミュニケーションとインターネットって深い関わりがあるなって思ったよ!

 

ではまた!